求人にあたって

ブログと言うのは、趣味で書くものだと思っていたが、「ひとり税理士」を提唱しておられる税理士井ノ上先生のご著書によると、それなりの効果があるとのことなので、サイトを改変するにあたって、ブログ形式にしている。

私は、長年にわたり、法律学や租税論とか、あまり、好きではないが会計学だとかに加え、いわゆる心理学一般を税理士の仕事に活かしていきたいと考え、いろいろ本も読み、あるいは、通信教育で学んだりして来た。

現在の心理学は、主流が、認知心理学で、初期の「精神物理学」時代や、あるいは、行動心理学の端緒となるパブロフの考察などよりも、広範な対象と、新しい方法によっており、隔世の感がある。

ただ、広く浅い知識はあるが、それを、実際の仕事に応用できているかというと、これは、難しい。

学校の先生が、学んだ教育心理学を活かせる程度には、その程度なら、何とか役立っているのだろうけれど、時間の制約や、父のやり方の影響が大きいので、学んだことが、最大限に役立っている訳ではない。

しかし、心理学を学んでいることは、私の強みの一つではある。

臨床心理学の範疇にはなるが、いわゆる精神分析学などでは、たとえば、「自己開示」ということをどう考えるか?と言う疑問に示唆を与えててくれる。

「自己開示」は、有り体に言うと、自分は、こう言う人間(だと思っている)だと、相手に伝えることである。

父は、下級官吏であった上に、かなりの田舎の出身なのであったが、お客様には、その辺りのことは、ほとんど伝えていなかったし、ごく一部のよく似た境遇の人にだけ語っていた。

白衣を着たお医者さんが、自身の信条や来歴を話さないように、何も言わなければ、それなりに、「こころ」から遠ざかれるので、安全地帯にいることができる。

あとは、腕前次第であろう。

ブログで、どの程度のことを書くかと言うことは、テーマとして、やや難しいことなのである。

新人営業パーソン来所

税理士事務所に来られる営業パーソンと言えば、まず、会計ソフトの販売か、信用金庫などか、保険業があった。

今回は、求人広告の営業パーソンの来所があった。

昨今の求人難のためと、私の年齢も考えて、事業展開の方向を選択と集中に変えようと考えている。

ここ3年ほどの間に、4回ほど求人広告でお金を使ったが、1人だけ、優れた方に来てもらえたけど、それ以外は、残念ながら、うまく行かなかった。

また、当事務所で、最初から担当していたすばらしい技術のあった会社が、後継者がなく、廃業されたこともあって、今は、まだ、人手不足なのだけれど、もう少し頑張れば、残念ながら、後継者がいないために廃業やむなしの会社もあるため、個人事業主を何とかすれば、ひとり事務所としてやっていける。

全てを自分ひとりでやれない限り、人を雇う必要もあるが、それなりに給料を払うことを考えると、ある程度まで減らせれば、そこそこの収入になる。

たとえば、相続税に絞って税理士業務を行うとすれば、年に4件ぐらいはこなせる勘定になる。

ごく簡単な相続税案件は別として、たとえば、相続財産1億円ぐらいでも、主として、土日対応だと、通常業務に、2件程度が、体に負担がかかりすぎない。

なかには、相続税申告もしましたと言う履歴を書いている求職者もおられるが、最終的には、私が確認する必要があるので、相当できないとあまり役に立つ訳でもない。

求人で、一番苦労するのは、たとえば、パソコンスキルが、入力スピードは速いが、ハードのことを分かっていない方などを見ている時かもしれない。

ハードディスクが壊れて、長年ためていたデータが消える体験と言うのも、特定の会計ソフトだけを使っていた場合だとないのだろうが、ハードウェアーの知識がない人も多い。

それに、パソコンなどの情報機器を使うことは、生産性を上げるためなのに、スキルが身につかないために、定型的な業務しか出来ないのも困りものである。

なんか、愚痴になってしましたが、インターネットやパソコンなどのスキルがないと、税理士業務も困難になって来ている。

平成29年の配偶者控除に関する改正について

【2018年6月現在】配偶者控除などの改正により、制度が複雑化しました。夫婦だけの家庭で、ご主人が正社員で、奥さんがパートタイマーであるケースについて見ていきます。

まず、ここでは、ご主人が配偶者控除を受けられるかどうかが、問題になります。

まず、ご主人の年間の賞与なども全部含めた給与収入が、11,200,000円以下であれば、38万円が全額控除されます。

ただし、奥さんのパートの給与収入が、1,500,000円以下である必要があります。

以上が基本となります。

 

40年前の会計事務所

私が、父の事務所に入った頃は、事務員の数も、まだ多かった。今でも、使える机と椅子のある席が、6席ある。

当時は、7席。職員数は、私を含めて正社員4名であった。

手書きで、振替伝票や元帳を作成していたので、今と比べると、数倍時間がかかっていた。

トランジスタ式の電気式の計算機が、一台。不要になった机の上に鎮座していた。

これは、かけ算や割り算の検算用で、たまにしか使われなかった。

父は、ソロバンとペンと簿記の知識があれば、一生食いっぱぐれがないと、繰り返し言っていた。

電卓を経て、計算はエクセルという時代は、当時は、予見できなかった。

野村コンピュータシステム(のちの野村総研)が、電子計算機の分散利用サービスを提供していて、私が入ってから、利用が進んだ。

私は、ソロバンが苦手だったので、まだ、端末の入力の方が良かったことにもよる。

データカセットをセンターに持って行って、出来た試算表や元帳などをもらってくるのである。

端末も、最後には、電話回線を使った音響通信でデータを送れるようになった。

そうこうするうちに、PTOSと言うOSを搭載したNECのオフコンに変わった。

当時のプログラムは、コボルで、それが、最終的にはIBMタイプのパソコンにブラットフォームを乗せた上で、動いていた。

DOS/Vパソコンが、MSーDOSで動くようになってから、汎用性のある会計ソフトも出来て来た。

ワープロ専用機が使われたのは、1980年代だけであった。

現時点では、エッサムの会計ソフトと、NTTデータの達人シリーズを使用している。

数年前から、人手不足になって来ていて、仕事が忙しくなっていたが、長年、大変お世話になった顧問先の方が、高齢化と後継者不足で会社を閉じられるような事態が相次いで、最近では、たとえば、会社設立業務はなくなり、代わりに、会社の解散や清算業務が増えた。

いまでは、会社の清算業務の方が経験があるようになった。

事業再生は、売却できる資産とかがなければ、実際には、手間がかかるばかりで、なかなか難しい。

この40年ほどの間に、会計事務所も様変わりしてしまった。

創業したばかりの人やこれから創業しようという人の支援業務も、時々やってきたが、一番大きいのは、資金不足で、よほどしっかりした事業でない限り、困難であった。

昨今の創業は、昔は、一台の機械を買い、貸し工場で利益を上げていく中で、収益を上げるという分かりやすいものであったのに対し、サービス業だと、本人の能力にも依存するため、なかなか、厳しい状況にあると思います。

なので、原則として、よほど、しっかりした事業プランを持っておられる方以外は、創業支援は、やらないことにしています。

事務所の成り立ちについて

父は、大正時代も終わる頃、滋賀県の片田舎で生まれ、農作業のかたわら、家の商売も手伝っていたが、祖父が若くして亡くなったこともあり、当時の流行りでもあった立身出世を願い、上京した。銀行を希望していたが、片親であったこともあり、税務署に職を得た。

税務官吏として働いていたが、終戦になる一年余り前に、徴兵され、ボルネオ島に連れて行かれ、バリックパパンの市街警戒やオランダ人捕虜の見張りの業務に従事した。

戦局おもわしくなく、ジャングルへ転戦する中、幹部候補生試験に合格し、10数十名が帰還し、横須賀の海軍の訓練所で、訓練を受けた。

旧制中学を出ているものは、工兵として訓練され、位も上であったそうである。

舞鶴で終戦を迎え、田舎に帰った後、復職し、その後、希望して大阪国税局管内へ異動した。

私が、小学校3年生の頃に、父は思い立ち年金受給資格を得て、税理士になった。

父は、税務調査の経験から、世の中には、とんでもない金持ちがいて、広い家に住み、食料品まで溜め込んでいるのを知って、金持ちから、商売を通じて、お金を移転させることは、悪いことではなく、むしろ、世の中が平等になるには、必然的なことだと考えた。

私が、小学校3年生の時に、東京オリンピックが開催され、中学3年生の時に、大阪万博が開かれた。

戦後稀に見る好景気が続いた。

父は、大阪の城東区に事務所を構えた。京阪沿線に住んでいたこともあるが、家賃とかが比較的安いので決めたと言っていた。

最初の事務所は、奥が畳敷きの部屋になっている木造の建物であった。

忙しい時は、そこで寝泊まりして過ごした。

その後、より京橋駅に近いところに、村上ビル(現:アリタビル)が立ったので、そちらに移った。

なので、もうこのビルは、50年近く経ったことになっている。

この地に、私の事務所がある理由は、父の跡を継いだことによる。

ちなみに、事務所の看板は、最初に作って以来修理もしていないので、年季が入っているだけに、ボロボロになっている。

看板を、せめて塗り替えてはどうかと、父に言ったこともあるが、看板を見てやってくる客は、飛び込みなので、良い客であることはないと言って、修理をしなかった。

長谷寺

先週の土曜日、曇り空の中、三輪大上神社や長谷寺に行ってきました。京都市内と違って、人も、それほど多くなくゆったりできました。

山門をくぐると、長い階段があります。

長谷寺